☆☆☆荻原悦雄のフェイスブックはこちらをクリック。旅行記、書評を書き綴っています。☆☆☆

2016年12月24日

行く我に留まる汝に秋二つ(2016年12月)

(津山編)
新幹線と在来線の乗り継ぎは上手くいって、吉永駅には午後一時前に着くことができた。無人駅でバス停は見当たらない。タクシーが二台停まっている。帰りの岡山行きの列車の時間を確認し、帰りのタクシーを予約することになった。約一時間半見学することにした。資料館もあるらしい。見学者は、少ない。山間にあっても意外と広い。日当たりも良い。建物は、古いがしっかりしている。講堂は国宝だという。敷地は、枯れているが芝生になっている。観光シーズンは秋の紅葉の時期らしい。既に落葉しているが、孔子廟のある斜面に二本の大樹があって、桑の木かと思ったら、楷の木であった。孔子のゆかりの地から種を持ち帰り苗にして育てたものだという。
閑谷学校の創建は、一六七〇年で初代岡山藩主の池田光政による。儒教、とりわけ陽明学に関心を寄せた人で、名君の誉れが高い。中江藤樹の弟子である熊沢蕃山を招聘し校風を確立した。儒教には、朱子学があるが、こちらは体制側の思想になる。保守的な思想でもある。熊沢蕃山も幕府から危険視され、不遇な人生を送っている。岡山には、山田方谷がいるが、幕末になって熊沢蕃山は評価されるようになった。閑谷学校が、庶民も学ぶことができたのは、陽明学と無関係ではない。建設に当たったのは津田永忠という家臣で、閑谷学校の近くに居を構え、屋敷跡は今も残っている。


閑谷学校の景観をもう少しスケッチすると、堤防のような石塀で囲まれていることである。城ほどではないが、外敵の襲来にも備えているような機能を持っている。また、城下や住宅地から離れた場所にあり通学するのには、不適である。そのため、寄宿舎が整備されていた。教師と生徒は近くにあって学んだことになる。明治になって、閑谷学校は廃止されるが、中学校、高等学校となり、明治期に建てられた校舎は、資料館になっている。正宗白鳥や三木露風もこの地で学んでいる。駅に戻り、津山の友人に到着時間を連絡した時
「おぬしの国は学問の底辺が広いのう」
という言葉になったのは、閑谷学校を見た素直な感想でもある。
吉永駅から岡山駅で津山線に乗り換える。各駅停車のワンマン列車である。沿線には旭川が流れ、谷あいを列車はゆっくり進む。冬山に夕陽が当たっている。民家の付近では、焚き火かしれぬが、煙が昇り、谷間を這うように流れている。
津山線 斜陽に映えて 山眠る
 津山駅の一駅前の津山口の午後五時に到着。この駅も無人駅である。友人が車で迎えに来る予定になっているが、それらしき車はない。少し遅れて、友人の友達が運転して迎えに来てくれた。友人は後部座席に同乗している。昨年、腰を圧迫骨折して、歩行が不自由になっていることを気にかけていたのである。車は、運転できるが歩行には杖が必要になっている。
 彼の友人には、過去にも会っている。職場時代の友人で親切な人である。二人の岡山弁が微笑ましい。いつも貶しあっているようなやり取りの中にも、友情が感じられる。
「おまえ、夕食はまだじゃろ。肉食うか」
焼肉店に直行。出された肉は牛肉である。それもステーキほどの厚さがある。それに柔らかい。こちらのでは、肉は牛肉という感じで、ホルモンも牛肉の内臓である。津山のB級グルメの「ホルモンうどん」の肉も牛肉である。昨日のこともあり、お酒は控えめにした。友人は、酒の酔いもあったが、家の玄関で転んでしまう。おでこに傷を負ったが、大事には至らなかった。来春、群馬に行きたいと言うが、先年果たせなかった日光詣は一人では難しそうである。御つきの者と車椅子が必要になりそうである。
 

 翌日は、彼の家でゆっくり過ごそうと思っていたが、温泉と津山城に友人が案内してくれた。何度か津山に来ているが、城に上ったのは、新婚旅行以来だから四十年近く前のことである。櫓が復元され、石垣も修復されつつある。初代藩主は、本能寺の変で、信長と共に死んだ森蘭丸の弟の森忠政であるが、大大名の城といっても良い城である。明治になって城の建物は壊されたが、復元した映像は、見事というしかない。国宝の資格がある。津山は鶴山が転じた地名で、津山城は、鶴山城ともいう。天守閣があった場所まで上り、津山の市街を眺めると、東西に吉井川が流れている。ちょっとした運動後の入浴になったが、温泉は病院の一角にあった。最近出来た日帰り温泉である。市内に、衆楽園という大名庭園があるが、翌日見ることが出来た。池が広々としていて、鴨やオシドリが優雅に泳いでいた。近くには市役所がある。城にも近い。
 

 津山の二日目の夕食は魚料理である。彼の好物の「のどぐろ」がメインである。いつからか高級魚になった。煮魚にして食べた。こちらは、予約である。キスのフライも柔らかくて美味しかった。ウツボのフライも酒の肴としてなかなかいける。昨夜は焼酎だったが、河豚の鰭酒をいただくことにした。三杯飲んだが熱燗の日本酒を継ぎ足せば、味もそれほど落ちない。経済的な飲み方だといつもそうしている。
 帰宅の日、昨日に続き将棋を指した。運転しない気楽さか、朝から缶ビールを飲んでの対局になったが、これまでなら飲んでもなかなか崩れない棋風だが、今回は読みがあっさりしている。勝負に拘る執念も感じられない。連勝したが、勝利の喜びよりも、少し心配になってきた。介護保険の申請もしてあって、認定が出たら週一回、ヘルパーに掃除をしてもらうつもりだという。仕事柄、ケアプランのアドバイスをしたが、買い物や入浴も不自由があるようだ。福岡の友人の年金相談と言い、確実に老齢期に差し掛かっている。岡山空港まで送って来てくれたが、足取りはおぼつかない。
 行く我に留まる汝に冬二つ


同じカテゴリー(旅行記)の記事画像
上野界隈散策(2017年10月)
九州北岸を行く(平戸、武雄温泉編・2017年8月)
九州北岸を行く(唐津編)
春めくや人様々の伊勢参り(2017年4月)
東京の桜(2017年3月)
三十年後の伊豆下田(2017年3月)
同じカテゴリー(旅行記)の記事
 上野界隈散策(2017年10月) (2017-10-20 11:16)
 この母にこの子あり(2017年9月) (2017-09-12 17:44)
 九州北岸を行く(平戸、武雄温泉編・2017年8月) (2017-08-26 09:04)
 九州北岸を行く(唐津編) (2017-08-25 17:19)
 春めくや人様々の伊勢参り(2017年4月) (2017-04-04 17:56)
 東京の桜(2017年3月) (2017-03-27 16:36)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
行く我に留まる汝に秋二つ(2016年12月)
    コメント(0)